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伝わる&売れる文章のルール伝わる&売れる文章のルール

伝わる&売れる文章のルール その15 文豪のラブレター

売れる文章講座

「作家」のラブレターを読んでみよう。

 
文章で自分の気持ちを伝えるのは難しい。それでも伝えたいことは、精一杯表現していきたいもの。さて、文章の天才である作家先生は、恋人にどのような手紙を書いているのでしょう?
 

僕のやつている商売は 今の日本で一番金にならない商売です。その上僕自身も 碌に金はありません。 ですから 生活の程度から云へば何時までたつても知れたものです。それから 僕は からだも あたまもあまり上等に出来上がつていません。(中略)
 
僕には 文ちやん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思つています。繰返して書きますが、理由はひとつしかありません。僕は 文ちゃんが好きです。それでよければ 来て下さい。(以下略)

 
誰が書いたかわかりましたか? 淡々と今の自分の状況を説明し、そして「僕は 文ちゃんが好きです」と告げていくさて、この手紙を書いたのは??
 
 
 
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ヒント1:夏目漱石の門下生のひとり
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ヒント2:明治二十五年 辰年辰月辰日辰時 生まれ
 
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ヒント3:代表作に「羅生門」
 
 
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わかりましたか? さあ答えです。
 
 
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答え:
芥川龍之介が、塚本文にあてて書いた手紙。
 
 
まさに、恋愛中の恋人にあてて書いた文章という感じですね。恋人へ送る手紙なんて、本来なら他人に見せるようなものではありませんが、文豪ともなると大変です。自分が亡くなったあとも、こうやって「研究資料」として手紙が引用されてしまうわけです。おちおち眠っていられませんね。(ちなみに、塚本文は芥川と結婚して芥川夫人となります)
 
まあ、それはそれとして、芥川といえば知的でクールな文体をイメージされていた方も多いと思いますので、作品の文体とプライベートの手紙とのギャップに驚いた方もいらっしゃるかもしれません。さらに、芥川が塚本文に送った手紙をもう少し紹介すると、
 
 

二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします。さうしてkissしてもいいでせう。いやならばよします。この頃ボクは文ちやんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。嘘ぢやありません。(大正六年十一月の手紙より、一部抜粋)

 

今、これを書きながら小さな声で「文ちゃん」と云って見ました。学校の教官室で大ぜい外の先生がいるのですが、小さな声だからわかりません。それから又小さな声で「文子」と云ってみました。(大正七年一月の手紙より、一部抜粋)

 
教官室の中で「文ちゃん」「文子」と小さな声でささやく芥川先生。天才も恋をすると、それしか考えられなくなるのですね。ちなみに芥川は結婚の際に「今まで自分が書いた手紙を、全部もってくること」と念を押しています。なるほど、その気持ちはよくわかります。とてもよくわかります。
 
さて。ここでおしまいにしては、芥川先生に気の毒な感じが致しますので「羅生門」と「蜜柑」の冒頭を紹介してみましょう。
 

ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。【芥川龍之介 羅生門より】

 

或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗のぞくと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻をりに入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。【芥川龍之介 蜜柑より】

 
さすがの文章です。この両作品の冒頭では、わずか数行の文章を読んだだけで、場面の状況はもちろんのこと主人公の心情も(そして、これからどのような物語が展開されていくのかも)伝わってきます。芥川龍之介らしい知的で磨き上げられた文章。「さすが文豪」と、何度も読み返したくなりますね。
 
 

作品と作者の「自我」

 
「作家は作品がすべて」という考えがあります。そこに表現していることが、作家が表現したいことであり、それ以外を詮索する必要はないという考え方です。確かにそれもわかります。作者に「そこに書いてあるのが全部。他に話すことはない」と言われたのならば、そうですよね、とうなづくしかありません。
 
しかし同時に、作家の「手紙」を読むことで感じられることがあります。そこには、どこかやさしく、あたたかい気分が存在します。それはたぶん、個人が個人を想って書いた文章を通して「作者の自我」に触れ、「文豪」という歴史上の人物を仰ぎ見る感覚ではなく「一人の人間としての芥川龍之介」を、少しだけ理解できたような気持ちになれるからなのかもしれません。
 
 


伝わる文章講座 佐藤 隆弘 拝
 
参考
ルール14 わかりやすさは技術である
必ず『トリック =仕掛け』が、ある 芥川龍之介「薮の中」
佐藤の読書日記 芥川龍之介

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